もの言わぬ弱視
「もの言わぬ弱視」という、言葉に触れておきます。
私の低学年の頃が、まさしくそれに該当しました。
もの言わぬ弱視とは、「日常の学校生活で、あるいは授業の中で、見えなくても見えづらくても特に訴えることもせず、その見えづらさを気付いてもらえない子どもたちの状況」のことを指します。
上記は、学校生活に視点を置いていますが、家庭でも同様だと言えます。
見え方が様々な弱視。それなのに、訴えることをしない(できない)理由を三つに分けてお話します。
理由1: 自分の眼のこと(見え方)に気が付いていない
→だから、黒板の字や人の顔や表情などが見えていなくても、気が付かないのです。なぜなら、今以上見える世界を知らないケースが多いからです。※主に先天性の弱視
理由2: 言いだすことをためらっている
→特に小さいころはどう表現して伝えたらよいかわかりません。また、年齢が上がると頑張りが足りなくてできないのか、見えにくくてできないのかといった葛藤も感じるようになるケースもあります。
理由3: 周囲の人と同じでいたい
→特に思春期に感じることが多いと言われています。弱視であることを隠す方も珍しくありません。
その他にも、晴眼者の方の「見えている」という感覚を知らない(当然ですが)ので、弱視の方にとって最も見えている状態が、本人にとっては「見えている」という表現になってしまうので、そのまま受け取ると差が生じてしまうこともあります。
私が小学校低学年のときは、理由の1に該当していました。