転校まで

見えにくさによる学力の低下

小学校2年生の頃には、学力が低下していました。

単元テストでは、答えを記入することもできず、時間を持て余していたので、余白に絵を描いて提出していました。

その絵に、花まるをくれた担任の先生の粋な計らいを今もで覚えています。

 

私が転校をすることになった最大の理由は、「眼精疲労」でした。

「お母さん・・・目が痛いよ。頭も。肩も痛い・・・。」

学校から帰宅すると、キッチンにいる母にそう漏らすようになったそうです。

 

この眼精疲労は、学年が上がる度に、酷くなっていきました。目を酷使すると、比例して悪化していったのです。

症状としては、眼の痛み、頭痛、肩こり、吐き気、めまい、胃痛など、多岐にわたります。

小学3年生の頃には、肩を揉んでもらうようになっていました。(この眼精疲労には、今でも悩んでいます。)

 

怪我や学力低下、眼精疲労などを心配して、両親は盲学校へ教育相談にでかけたのです。

 

特別支援学校(盲学校)への転校

 

教育相談を経て体験入学が行われました。

給食がとにかく美味しかったことと、自分が通っている小学校と比べるととても静かで、児童の人数がすくないという印象を持ちました。

そして、小学3年生の春に地元の小学校から盲学校(視覚支援学校)へ転校しました。

 

両親は転校を決意した当時のことを振り返り、こう話してくれました。

 

「このまま地元の小学校に通わせたい気持ちも正直あった。けれど、お父さんたちの人生ではなく、梢や○○(弟の名前)の人生なんだという視点で考えると、転校した方が良いと思ったんだ。」 ※私の弟も小学校から盲学校に入学しました。

両親とお酒を酌み交わすようになってから聞いた話です。

 

小学2年生の私は、両親と話し合い転校に賛成しましたが、正直、なぜ転校しなくてはいけないのかわかっていませんでした。

だから、引っ越の日に友達がお別れをしに来てくれた時には、「どうして私はみんなと同じところにいられないのだろう。」と、見送られながら泣いた記憶があります。

 

引っ越す前に住んでいた場所から盲学校までは1時間半の道のりでした。

盲学校には寮があるので、私をそこに入れることもできたのです。

しかし、父は仕事を辞めて一家全員で盲学校の近くに住むことになりました。姉も転校を余儀なくされました。

両親としては、子どもたちを遠く離れた場所で生活させず、家族全員で過ごしたかったのでしょう。

色々な選択肢がある中で、私が常に家族と一緒にいられる環境を築いてくれたことに感謝しています。

こんな風に家族に支えられて、転校したのです。