単眼鏡との出会い。
閲覧、ありがとうございます。
今日は、私が単眼鏡と出会った時の話を書きます。
単眼鏡との出会いは、小学3年生の時でした。盲学校への転校を機に使用することになったです。
今でこそ、小学校や中学校に在籍しながら、特別支援学校のコーディネータや教育相談などの支援により、補助具と出会うことができる時代です。しかし、当時、少なくとも私の住んでいた地域では、そのような支援をうけることはできませんでした。
先生に、黒い物体(単眼鏡)を手渡されました。
「のぞいてごらん。」と言われました。
初めて見たものは、教室から見たグラウンドの向こうにある遊具でした。
「グラウンドのまわりに、遊具があったの!?」と、声に出したことを覚えています。
同時に、衝撃が走りました。
見えにくくない方には、なかなか想像がつかない感覚かもしれません。
そもそも教室から外の風景を眺める行為自体、なかなかしません。
毎朝、ランニングでグラウンドを走っていたのに、遊具があることを知らなかったのです。
いいえ、見えていなかったのです。小学校3年生の私にとっては心躍るような情報でした。
「休み時間に、あの遊具で遊ぶことができるんだ!!!」
うきうきした気持ちは、今でも忘れられません。
転校する前は、休み時間は決まって校庭に出て、遊具で遊んでいました。しかし、転校してからは教室で過ごしていたので、とっても嬉しい情報でした。
また、この単眼鏡との出会いは、「あそこ」という概念の距離が長くなった瞬間でもあったのです。
周囲のものが見える距離が、弱視の方は短いことが多いです。みなさんにとって「ここ」が、私たちにとって「あそこ」という感覚のずれが生じる場合があります。たとえば、私にとっての「あそこ」が2メートルだとします。それが、単眼鏡をのぞいた世界を知ることで、10メートル以上にもなるのです。倍率をあげれば、もっともっと距離は長くなるでしょう。
・自分では見えないものを見ることができ、情報をより多くキャッチできる喜び。
・「あそこ」という概念の変化。
この二つの感覚は、感動的でした。
補助具は日常の生活の中で便利だと感じられないと、充実した活用には至りません。
成長の過程で、そう感じることができる経験を、意識して感じさせてあげられるような周囲の働きが不可欠です。
どの補助具も、その人の生活の質の向上や不自由さからくる負担を和らげてくれるものです。
とても、大切な存在であることは確かです。