小学校低学年のエピソード①

小学校3年生の春に特別支援学校である盲学校に転校しました。

 

 

生後8カ月で視覚障害となった私。

小学校は地元の学校なのか?それとも、特別支援学校なのか?

両親は不安を抱きながら、就学時健康診断を受けました。

診断結果は、地元の学校で良いとのことでした。

私が住んでいる場所から、一番近い特別支援学校である盲学校は、車で一時間半もかかる場所でした。

 

兎に角、姉と同じ小学校へ入学することになったのです。

学校側には席を一番前にしていただくことと、プリントの拡大を対応していただきました。

田舎なので学校まで徒歩40分。やんちゃな私の小学校生活が始まります。

あの2年間は、自分にとって濃い2年間だったと記憶しています。

 

 

 

【エピソード1】 先生に叱られる。

放課後、友達数人と「行ってはいけない」といわれている険しい山道へ。

泥だらけで下山した瞬間、先生に見つかって怒られました。

私だけが泥だらけ。なぜなら?たくさん転んだから!私のせいでバレてしまった気がします。

山道は、特に木の根や枝葉、傾斜具合が見えず、よく転びます。

盲学校に転校後、登山をした時に自分がどれだけ見えにくいかを知りました。

当時の担任の先生は、焦りましたよね・・・。

なんだか、申し訳ありません。

自分もついこの間まで教師だったので、こうやって書いていると当時の担任の先生のお気持ち察します・・・。

 

【エピソード2】 やーい!眼鏡猿っ!

私は、4歳のころから眼鏡をかけていました。

4歳から眼鏡を処方してくださる病院を見つけるのに、両親は何件もの病院にいったそうです。

当時、眼鏡をかけている子供は珍しい時代。私の眼鏡はレンズがグルグルしているように見える眼鏡。

からかうには格好の餌食になってしまったのでしょう。

「やーい!眼鏡猿っ!」と何度も男子に言われました。

帰宅して母にその悔しい気持ちを伝えると、母は「悔しかったらお前もなってみろー!って言えばよい!」

と一言だけアドバイス。

いざ、実践!

男子「やーい!眼鏡猿っ!」

梢「悔しかったら〇〇もなってみろー!」

それ以来、言われなくなりました。

むしろ、遊び仲間になりました。

 

 

 

眼鏡は現代において珍しくないもの。しかし、弱視の方は補助具を使用して見えにくさを補っています。白杖、遠用レンズ、近用レンズ、書見台、拡大教科書、遮光レンズなど様々です。それらを使用する際、注目されることが多く、胸を張って使用できるようになるには、補助具がいかに有用性であるかを理解することと実際に使用する経験を積まなければなりません。この眼鏡のエピソードが私にとって、弱視として補助具を使用することを意識させられる人生最初の出来事だったと思います。