私の原点。
中学2年生のときに、盲学校の文化体育競技大会で発表しました。その後、同様の内容で「少年の主張」の市の大会、支庁地区大会、全道大会で発表しました。中学3年生まで続いた大会だったので、私にとって本当に貴重な経験でした。その時の原稿を載せます。※当時の動画を見ながらデータにしました
演題 「今の私」
「障害者と呼ぶのはおかしいと思わない?」
「じゃあ、どう呼んだらいいの?」
小学部6年生のある夜に、偶然つけたテレビでした。障害をもたない子どもたちが、障害者という呼び方について話し合っていたのです。
「こうやって考えてくれるのはいいことだと思うけど、障害者の気持ちも考えていってほしい。」
漠然と、そんな考えしか浮かばなかった私ですが、そのころから、どこかで、自分の障害と向き合うようになっていたような気がします。
私が障害を実感したのは盲学校の小学部4年生のころです。2年生までは●●小学校へ通っていて、友達から
「目が悪いの?どうしてそんな本を近づけて読むの?」
と、聞かれることはたくさんありましたが、少しも気になりませんでした。
盲学校に転校して1年が経ち、学校にもやっとなれて、多くのことを考える余裕ができたときに、障害ということを深く考えるようになりました。
近所の子と一緒に遊んでいても、置いていかれているように感じたり、遠く空に飛ぶ飛行機を自分の目で見てみたいと思うようになったのです。障害を実感したのです。そして、実感したと同時に、障害者だということが嫌になりました。
「どうして私は目が悪いのだろう。生まれつきだからしょうがいないんだ。」
それからずっと、こう自分に言い聞かせてきました。
でも、中学部になってそんな風に考える自分が嫌になり、どうせ一生、障害と付き合っていくんだから自分と楽しく付き合っていこう。自分にマイナスなことはプラスにすればいい、困難なことは少しずつでいいからスムーズにできるようになればいいと思うようになったのです。
自分と楽しく付き合う方法は、まず自分の好きなことを見つけることです。最近では、パソコン、剣道、フロアバレーボールと、好きなこと、夢中になれることを増やしています。
もう一つは、自分を長い目で見つめることです。今まで歩行訓練を通して、一人で行動できる範囲を広げてきました。行動範囲が広がれば自信に繋がるからです。
「杉本さん。あなたは障害についてでどう思いますか?」
そう、問いかけられても答えはよくわかりません。
それでも、一つだけわかったことがあります。今の私には障害者と障害者ではない自分がいること。そして、その周りには、家族、友達、先生という、たくさんの励ましがあるということです。
私は今まで自分の障害を隠したくなる時がありました。しかし、相手に対して自分はどんな障害で、どんなことができないか、こんなことを手伝ってほしいと話さなければ自分も困るし、相手も困ります。
進路への悩み。受験への不安。卒業の寂しさなどで、ここにる私の心は揺れていますが、これからもそして、高校へいっても、自分を隠さず人と接し色々なことにチャレンジして、新しい自分と楽しく付き合っていきたいと思います。
今の私を、大切にしながら。
end
このころから、長い月日が経ちました。それでも、当時の「相手に対して自分はどんな障害で、どんなことができないか、こんなことを手伝ってほしいと話さなければ自分も困るし、相手も困ります。」という考え方は今でも変わりません。
「私の原点」ともいえる文章です。
※障害者という呼び方について本記事では触れません