高校生活【前編】

閲覧、ありがとうございます。

※下記は、過去の内容です

 

高校入学後、まもなく自分の障害のことをクラスメイトに話す日を設定してもらいました。

話をする当日、胸が苦しくなるほど緊張したことを今でも覚えています。

どれくらいの視力があるのか、補助具を使用していることなど、思いつく限りの内容を伝えました。

(当時を振り返ると「もっとこんなことも伝えておけば、あんなに苦労せずに済んだ。」と思います。)

 

ところが、日に日に、見えにくいことで生じる苦労が増えていきました。

高校に入学して一ヶ月も経たないうちに、自分が選択した進路を後悔しました。

 

「高等盲学校へ転入したい」と。

選択した進路を後悔した理由は、視覚の不自由さからくる生活面と学習面の苦労でした。

 

 

 生活面での苦労1

新しい人たちとの出会いから友達へと関係を深めていく際に、挨拶は必要不可欠です。

しかし、大勢がいる空間では自分から挨拶もできず、相手が挨拶をしてくれても気付けないことが多々ありました。

特に、他のクラスの生徒たちもいる廊下は誰が誰だかわからず、教室を出るのが憂鬱になっていきました。

顔がよく見えないのはもちろんですが、声や背格好が似ている人もいて、盲学校のようには相手を特定できないのです。

無視をされた、目つきが悪い(相手を一生懸命見るので)と思われたこともあります。

 

****振り返って思うこと****

クラスに自分のことを伝える機会はありましたが、学年全員に伝える場面はなかったのでクラス以外の方と関わる際に不安を覚えました。その一つが廊下でした。

相手の顔は15センチまで近づかないと見えません。

ですから、学生時代も今も、服装や背格好で誰かを判断します。

毎朝、服装を覚えるようにしています。制服や指定ジャージなど、同じ服装を着ている場合は、誰が誰だかわかりません。

特に高校は人数が多かったので、自分から声をかけることはなかなかできませんでした。

友達になった人には、自分から声をかけるのが不得意だということを一人ずつ伝えていました。

視覚障害者あるあるですが、待ち合わせがとても苦手なので、服装を伝えたり、シンボルとなるものがあるところで待ち合わせをしたり、電話をしながら合流するようにしています。

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 生活面での苦労2

他にも、授業中にノートや教科書を近づけて見るので、そのことを不思議がる声が聞こえてきたり、教科の先生に姿勢を注意されたりしました。

移動教室や行事の際は、友達に頼るしかありません。

しかし、入学直後は知人がいないので、周囲の人たちに自ら声をかけて行動しなくてはいけません。

想像していたことでしたが、依頼する回数を重ねる度に、心が締め付けられるような感覚を覚えていきました。

「盲学校にいたときは、友達に助けてもらうばかりではなく、人の力になれることもあったのに・・・今の私はお願いをする毎日・・・。」と、ネガティブになっていったのです。

 

****振り返って思うこと****

弱視の方が視距離を近くして見る行為は必要不可欠です。

網膜に映る像を大きく拡大したいからこそ、そうしなくてはならないのです。

背中が曲がってしまわないように、書見台という補助具を使用します。

しかし、高校では使用していませんでした。大きな机に変更してもらったり、移動教室の際どうするか考えれば、活用可能だと今は思います。

まだまだ、当時の私は自分の見え方への理解が今に比べては進んでいなかったのです。

援助依頼は大人になってからも、難しさを感じます。

お願いすることが増えるのと比例して、心のエネルギーも消費します。

しかし、今は私には必要なことだと思い、明るく元気に援助依頼ができるようになっています。

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